私の大学の恩師は、私にこういった。
「20代にせこせこと金を貯めるな。貯めたところでしれている。それくらいであれば、もっと自分を磨くことに投資しろ。」と。
比較的思考回路が単純な私は、その言葉を鵜呑みにして今日まで生きてきた。
おかげで貯金がほとんどない。でも後悔もない。
“なんとかやっていける”という自信めいたものがあるからだ。
きっとその背景には、“個人としての能力が試される時代にある”という認識がある。
今まで、このことについて深く考えることはなかったが、最近の社会不安(熟年離婚や介護、年金問題、格差社会、等々)から、その重要性を感じるようになった。
妻はいつまでもついてくるとのん気にしていると離婚され、支払った分は報われると信じていたいた年金は別の人が使い込み、せっせと貯めたお金はじわじわ円安に。
社会問題の多くが個人に圧し掛かっており、政府や企業も「解決は個人で行ってください。」と匙(さじ)を投げている。
さらに宜しくないことに、問題を履き違えた企業は、新卒の大量雇用を始め、旧来のビジネスを継続しようとしている。また、新卒社会人も、それに気付かず、企業ブランドを信じてその流れに乗っている。
年金なんかよりも、きちんと積みあがり、車や衣服より陳腐化しない資産は何か。考える価値は充分にあるように思う。
特に、50、60になってからでは、手に入れにくいもの、手に入らないものは何かが重要だ。
今、100円200円高い食事をすることが、将来、何万という医療負担を軽減するかもしれない。
今、1冊の本を読むことが、将来、大きなビジネスチャンスを巡り合わせるかもしれない。
今、偶然出合った縁を大切にすることが、将来、大きな危機を救うかもしれない。
えらそうなことを書き連ねているが、私も何時ぞや、ハゲ散らかし、みすぼらしく、無残な姿をさらすかもしれない。しかし、今現在においては、多少頑固でも自分の頭で考え、自分の生き方に責任の持てる人生を歩む重要性を信じてやまない。